ガラスのりんご通信

頭のなかで生きている

かわいそうなわたし症候群

 

環境が変わるとき、何か新しいことを始めるときに、いつもすることがある。  



自分が余命わずかである、という妄想だ。

 


 

妄想といっても、やろうと思ってしているわけではない。

さっき一瞬お腹が痛かった、腰が痛かった。もしかしてこれは病気なのかもしれない。余命わずかであるのかもしれない。新しい何かをこれから始めることができないままに死んでしまうのかもしれない。そんな風にただ、不意にそれが始まってしまう。


楽しいわけでもない。                            

自分が死んだ後の家族のことを考えると、どうしようもなく悲しい気分になる。

不謹慎であることも分かっている。

 



結局のところ、これは逃避だ。死ぬこと以外の逃げ方を知らないだけだ。身近な死に触れてこなかったから、死に対して曖昧なイメージしか持っていないから。何者でもない私ではなく、かわいそうな私になれることに酔っている。